青年部は刺激的です

廣谷 弘和 氏 名:廣谷 弘和
年 齢:37歳
出身地:砺波市
就農年次:平成14年



就農されたきっかけは?
 中央農業高校では作物を専攻していまし たが、そこで農業の大変さを実感し、自分 に農業で食べていけるだけの力があるのか ないのか分かりませんでした。そこで、 1回就職をして外を見ておいた方がいいの かなと思い、卒業後に農業とは全く関係の ない会社に就職し、18歳から30歳手前 まで会社勤めをしていました。父がずっと 種子を栽培しており、小さい時から農業の 厳しさや大変さを知っていたので、どうな るか分かりませんでしたが、一度やってみ ようと決意し、就農しました。

外を見て良かったことは?
 ひとつは、人付き合いです。農業は自然相手の仕事ですが、うちのような小規模農家は借り入れをしなければならないので、人に対してどうしたら信用してもらえるかを知っていることが大事です。以前の会社では現場監督を任されていたので、10代から50代までの人たちを仕切っていく中で、みんなが求めていることや一人ひとりに合わせた物の言い方や対応の仕方を学ぶことができました。いい勉強になったなと思っています。

実際に種子の栽培をしてみて、いかがでしたか?
 基本的に学校で習ったことは外枠の部分だけで、実際にそれでできるかといったら全然ダメでしたね。農業を始める時、父に「5年間は完全に見習いとして何でも教えてほしい」とお願いし、常にノートを持って父の作業内容などを書き込むようにしました。自分1人で算段していくことが苦手だったので、まずはそこから始めましたね。ノートに取り始めて1〜2年経つと、それを見て振り返りながら作業をするのですが、去年と今年は同じじゃないんですよね。それでもノートにとり続け、今も書いています。

種子の栽培は、お父さんの代から?
 そうですね。父は仕事をしながら、田んぼを少しずつ増やしていって、ある時から田んぼ1本でいくことにしました。今は基本的に父と母と私の3人で作っていて、たまに姉に手伝ってもらっています。
 うちの田んぼは、山にも河原にも平地にもあるので、他の農家とは基本的に違うんですよ。作業も場所ごとにやることが少しずつ違うので、すべてを同じに考えられないんです。なので、ノートの中身を理解して、分からないことは父、もしくは青年部で聞いたり、違うやり方を取り入れたりして、何とか対応しています。

どのような田んぼなのですか?
 大多種多様な田んぼと格闘し続ける廣谷さん。半が山の上にあり、深い沼田ばかりです。大きい機械が入れないところや三角の田んぼなど、3分の1は小さい田んぼですね。搬入路がないところは水路をまたいで田んぼに入ったり、河原の田んぼは高低差があるので機械を傾けながら入っていって、機械を壊してしまったり、山の沼田はタイヤを越えるほど深すぎて田植機が動かなくなったり。すごく手がかかるので、田んぼを増やしたら人を増やさなければいけないところが、悩みどころです。人がやらない田んぼで栽培しているので、なかなかうまくいきませんが、試行錯誤しながらやっています。

どのような信条を持って取り組まれて いますか?
 「借金はするな。お金がないなら投資するな」です。借金をしても、それを返せる面積を持てないので。機械が壊れても直しながら使っています。必要のない物にはお金をかけたくありませんが、必要であればお金をかけます。昨年は、将来1人でやっていくことを見据えて、ハウスと中古のトラクターを買いました。ハウスは1人でシートを張れるように巻き上げ式のものにしました。同じ種子農家でも手広く仕事をしていく方もいますが、僕は自分の足元でしか仕事ができないタイプなんですよ。

これまでに良かったことは?
 砺波の青年部に入れてもらっていたことは、今思えば良かったなと。入った時はほとんど素人だったのに、みんな優しく教えてくれました。本当に勉強になったし、楽しかったですね。みんな、ふざけているようで真剣、馬鹿なことを言っているようでまともなことを言っていましたね。前向きな意見も多く、刺激にもなりました。

新規に就農する方にメッセージを
 地域の青年部に積極的に参加すると、勉強になることは間違いないと思います。考えが3つも4つも出てくるので、勉強になると思います。そのうち、地域の活性化につながるのであれば、自分の身を削ってもいいという発想も出てくると思います。

■現在の経営状況(平成23年)
水稲種子 6ha


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